傾聴すること
相手の言葉に耳を傾けて、熱心に聴く。
「先入観を捨てて、そのままを受け止める」というのは言葉にすると簡単だけど、本当に自分のものにしないと実践するのは難しい。
ついつい、ちょっと聞いただけで、解った積りになってしまうし、相手が言い終わるのを待たずに話し始めてしまう。
初対面の人や、久しぶりに会う人、自分より年配の人であれば、こちらも不躾なことはすまい!と思うので、まだマシだ。
頻繁に会う相手や、心を許した友人であるほど、途中で遮ったり、割り込んだりしやすい。
「傾聴」とはほど遠く、「軽聴」になってしまう。
昨年入社の女性社員Mとは、当然、毎日、会社で会っている。
もちろん、これまた当たり前だが、彼女がどんな発言をし、どんな行動を取り、どんな結果を導いたかを知っている。
そして、それが僕の「傾聴」を「軽聴」にしてしまう罠でもある。
彼女が四角い机を丸く拭いているのを見れば、朝のミーティングでもそれを咎める場にしてしまう。
事前の準備不足で充分な成果が上がっていなければ、それを指摘する場にしてしまう。
*あらかじめ*その用意をしてしまっているのだ。
事実に基づいて話をすることは大事だと思うし、想像や憶測で話さないように心掛けてきた積りだ。
それでも、事実にのみ焦点を当てても解決できないことはある。
頭痛がするからといって薬を飲んでも、肩こりや歯の噛み合わせに原因があるなら、その根本に目を向けなければ改善できないのと同じだ。
彼女がそれを問題なり課題だと思っていれば、事実に即して話せば解るところは大きい。
でも、それが掴めていないと、枝葉の事実だけでは不十分になる。幹にあるものに注目して認識しないと彼女の腑に落ちない。
「どうして○○○な行動を取ったの?」
「何故、×××と考えたの?」
Mに会うまで、Mに出会ったことは無い。
Mに会うまで、彼女と似たような行動をとる人に出会っていたとしてもだ。
行動パターンが類似していても、Mは世界でたった一人のMだと見ること。
類型に当てはめて、M自身を見失ってはいけない。
経験を積むほど、勉強するほど、奢ったり、上から目線になりがちだ。
稲穂は実るほど必然的に頭を垂れるかも知れないが、人は意識して謙虚にならないといけないのだと思う。
未だまだ自分が至らないということ。
目の前の人が、他の誰でもない独特な存在であること。
そして、本気で真正面から向かい合う覚悟を持つこと。
もう一度、ギアを入れ直して、やってみます。
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