一貫性と棚上げ
会社という組織が『一貫している』というのは、とても大切だと思う。お客様にとってはもちろん、社員にとっても、会社の経営陣だけでなく上司・先輩達の話すことが一貫していないと、信じて行動することが出来なくなる。
自社だけでなく仕事でお邪魔する会社でも、そんな一貫性のなさを目にすることがある。例えば、挨拶ひとつでも「朝は明るく挨拶をしよう」とか「お客様を見たら元気に挨拶しよう」とか言いながら、経営者自身やリーダー達がそれを怠っている、という事が目立つ。
それが大事なら、誰よりも真っ先に経営者やリーダーがやって見せるからこそ、その重要性が周りに伝わるものだ。言葉と行動が一貫しているから伝わるのだ。
号令をかけるだけで、リーダー自身が率先して言動に移さないことには、只の<お題目>になってしまう。そうなると、「明るく・元気に挨拶する」効用や価値は貶められてしまう。全社を挙げて取り組むほどの重要さではなく、一部の部下や末端社員がすればいいだけの作業になってしまう。
92年の暮れ、僕は一年ぶりに営業所に所長として戻った。
前任の営業所長がきて、営業所の主任以上に目標未達成額を会社に立て替える件が話されたことがある。確か、僕も同席して話をした筈だ。部下や後輩にそれを強いる以上、僕は前回同様、もう退けないことを覚悟した。
なんとしても会社を立て直して、末端ユーザーの方、販売店の方に迷惑をかけず、社員も気持ちよく働ける組織にしなければならない。今日の出来事を「あの時は必死に頑張ったよなぁ~」と笑い飛ばせる日を迎えなければならない。
この前任の営業所長はそれから程なくして、会社を辞めた。給与の遅配が続いている会社だから退職者が出るのは珍しい出来事じゃない。彼の生活の破綻状態も知っていたので、それも仕方ないと思った。
ただ、これには後日談がある。
それから数年後に彼と一緒に呑みに行ったことがある。当然、当時のことにも話が及んだ。
会社を辞めてから暫くして、営業所の或る主任と話したことがあったそうだ。その時に彼はその元部下に対して「社員に金を肩代わりさせるような会社、おかしいよ」と話したというのだ。
これには驚いた。元部下にそれを強いたのは、他でもなく辞職した彼自身だったではないか。
確かに、社員が会社に金を入れるなんておかしい。
でも、彼がそれを口にするなら、「あの時の俺が間違っていた。申し訳ない。」と土下座でもするなら理解できる。でも、それを他人事みたいに、しれっと元部下に話し、数年の時間を経たとは言え、当たり前のように僕にも話せる神経に面食らった。
彼はただ、会社から言われるままに部下を説得しただけかも知れない。嘘っぱちだったんだろう、彼にとっては。
そんなお気楽に、人を導いたり、決断を迫って良いのか?
人に強いておきながら自分は放り出して、立場が変わったら、あっさりと前言を覆す。
「あの時は自分が大臣をしていたので、それには触れられませんでした」みたいな、立場に責任の矛先を向けて、自分を棚上げしていた政治家もいた。
プライドのない人間の発言やその責任感はこうも軽いかと思う。
僕にも決して、偉そうに彼を裁く権利はない。同じ穴のムジナだ。
僕の罪も軽くはないし、彼らを結果的に傷つけたことは紛れもない事実だ。
「一寸の虫にも五分の魂」 せめてのその罪を背負って行かなければいけない。それが僕の義務だし、責任だと思う。
仕事だからとか、役割だからと、それを「逃げ」にしては人には責任も何もなくなってしまうと思う。人間関係は薄っぺらで表面的なものになってしまう。上司と部下の関係だけでなく、取引関係でも、友人関係でも、誰もそんな軽々しいものを求めていない筈だ。
自分という人間が、公私の別なく、何処を切っても同じ「金太郎飴」のようで在りたいと思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント