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2008年3月

生命順位?

くじらを捕まえて殺すのはいけないと言う。

命あるものを殺すのがいけないのは当たり前だろうと思う。

でも、それはくじらに限ったことではない筈。

哺乳類だから、知能が高いから

・・・それは白人だからとか、○○大学卒というのと変わらないと思う。

痛みを感じるから、恐怖を覚えるから

・・・というなら、五感を失っていたり、障害を負った人間には尊厳は無いのだろうか?

牛や豚は?

「彼らはその為に『生産』されているのだから別問題」と大真面目に唱える人も居るそうだが、本気だろうか。

人の作ったカテゴリーに当てはめた「自分たちの価値観」に基づくだけの偏見に思える。

生命を差別しているだけのように聞こえる。

人間は様々な生命を殺して、食して、生きているのだ。

人間は、動物taurusや魚fish、植物bud、それらの生命を頂いて生きているのだ。

くじらやイルカを保護することだけで「やさしい生命体」になれるほど、人間の持つ罪や業は甘くは無いだろう。

どう思いますか?

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「営業」の適正がない・・・?!

「営業」をやる!・・・と決めて、コンサルティング業務を行なっている企業に資料請求したり、会社訪問buildingを始めました。

そして、面接を受けたりもしたのですが、これがことごとく反応はツレナイものでした。
たしかに<怠楽生>だった私ですから、それ程、企業にとって「欲しくてたまらない人間」ではなかったと思います。
しかし、売り手市場といわれた時代です。もう少し色よい返事があっても良さそうなものです。それでも現実には、『ここだ!』と思った会社からは殆どハネられてしまいました。

とあるコンサルティング系企業の就職試験がありました。
そこでは営業職以外にも、SE職など2種ほどの募集があり、面接も3つの職種の人事担当から行なわれました。
そして、結果は営業職以外の2職種からのみ『2次試験に来ませんか?』という返事を頂きました。(-_-;)
その部署の方から「適正試験の結果、君には『営業』の適正がないですよ。」と、教えられました。

それは当たり前ですよね。ついこの間までは「営業」に対してマイナスイメージの塊だったのですから。

自分で『好きだな~』『良いなぁ』と思うものは、相手の方からも寄ってくるでしょうが、『嫌だなぁ~』と思うものは自然と遠ざかっていくものです。

自分が目をつけていたコンサルティング企業すべてから良い返事をもらえず、『どうしようか?』と思っていた或る日、運命の出会いがありました。

『君も社長になってみないか?』

忘れられないキャッチコピーです。

小さな会社で、社長も社員も若い会社でした。キャッチコピーの下には、10年で100のグループ企業を創るという壮大な夢が語られ、その為に営業を通して「会社経営」を学ぶというものでした。

これは面白いsign03 この会社に決めたsign03

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「営業」をやってみよう!の巻

「営業マン」という言葉からどんな人・姿・態度を思い浮かべますか?

僕は学生の頃までずーっと「営業マン」というのは、人にペコペコしながら、おべっかを使って、物を買わせる人だと思ってました。

だって、それまではテレビドラマなどで「営業マン」を見る程度しか知りませんでしたし、ドラマに出てくる「営業マン」は、みんな判を押したようにペコペコしてるイメージしかなかったのです。

「営業の仕事だけはやらない」というのが、僕が就職を控えた頃に考えていた事でした。

そもそも、僕などは<大学生>というよりは<怠楽生>と言ったほうが良いような人種でした。
自分の稼ぎで暮らしたいと思ってはいたものの、特に何かやりたい職種や仕事がハッキリしていた訳ではありませんでした。
強いて言えば、「小説家」か「作詞家」にでもなって、人の心を感動させられたら良いなぁ~なんて、とてもあやふやなイメージがあるだけで、まるで子供の夢にも及ばないレベルでした。

大学4年生になると、就職雑誌やらDMやらが毎日のように家に届くようになりました。そして、ある時届いたDMに僕は心を動かされたのです。それは、『営業職募集!』のDMでした。
そこには「営業マン」になることの素晴しさが綴られていました。そして、営業は「机上の人」でなく「路上の人」だと書かれていたのです。これはカッコいい!と単純に僕は思ってしまいました。

「路上」といえば、On The Roadです。STREETです。それはDESKやOFFICEよりもROCKっぽくてカッコいい。

こうして振り返ると、実に幼稚な発想なのですが、少なくとも「営業マン」のイメージが僕の中で変わったわけです。

そのDMを送ってきた会社は企業相手のコンサルティングをしていたので、取引相手は会社の経営者などが多く「これは個性的な人達に沢山会えるな」と思いました。
多くの人に会って話を聞き、人を見て、人を知ることが出来る。これは上手くすると、将来小説を書くときの参考になるかも?なんて事まで考えました。

とにかく、そんな訳で僕は「営業」で、トップの人に会えて、(おまけにこっちからアドバイスできたらカッコ良いので)「コンサルティング」をしている会社を狙って就職活動を始めました。

狙うべき「的(まと)」はハッキリしたものの・・・

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『へなちょこ』の成果

そのとき、僕は舞台の上から営業所のメンバーひとりひとりの名前を呼んで「ありがとう」の言葉を伝えた。

全社員集まっての忘年会で、その年の「社長賞」が僕に授与されたのだ。

僕は当時、ある会社の営業所にいて、営業部のリーダーをしていた。その年の春に入社した新人を中心に構成された営業部だった。
そして、その半年近くの間、他の営業所はもちろん、本社営業部にも大きな差をつけるほどの実績と、なによりも僕の一番求めていたものを創り上げることが出来ていた。

「やればできる」なんて言葉はよく耳にするものだけど、それを実感できたし、心から信じられていた。誇りと自信にも満ちていた。
出来ないことは何も無いと理解っていたし、それは誰にでも起こし得ることだと確信していた。

自分にも、誰にでも可能性が溢れていると未来を信じることが出来た。
無敵の感覚すら覚えていた。

でも、それまでの僕は『 へなちょこ 』だった。

『 へなちょこ 』の僕が大きな成果を創り、百人ちょっとの会社とは言え、年間のトップになる。
・・・これはちょっとしたサクセスストーリーだ。

映画なら、ここらでエンドロールが流れて「めでたし、めでたし」となるラストシーンだ。

しかし、人間は「なまもの」だなって思う。
気を抜いて怠けると、臭気を放ったり、腐ったりする。
気持ちが折れたり、行き先を見失うと、小さなことさえ何も実現できなくなってしまう。

僕はその社長賞をもらってから、数年後には『 へなちょこ 』どころでなく、くだらない奴に成り下がった。

そして今、また楽しく頑張れる自分がここにいる。

楽しく頑張れるが、まだまだ、あの頃ほどの成果を成し遂げていないと感じる。
あの時ほど、周りの人間を幸せにしていないとも思う。

今もう一度、自分でもわくわくと震えるようなことを起こそうと思う。

「今までのこと」のカテゴリーでは、僕の『 へなちょこ 』を振り返りながら、新しい成果をしっかり掴むキッカケにしようと思う。

人間は『 現在 』にいきる生き物だと思う。
「今ここ」を「明日」に繋いでいく生き物だと思う。

過去の栄光みたいなものにすがる様になると、きっと心も体も老いて行くんじゃないかな。

だから僕は、ある意味、ここで過去を晒して、過去に決別をしようと思う。
ちょっと矛盾してるように聞えるかも知れないけれど。

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好きな人と一緒にいると

好きな人といると

人にやさしい気持ちになります。

好きな人といると

自分の中の良いところが溢れるように思えます。

好きな人といると

自分の雑多な感情から、やさしいものだけ抽出したくなります。

好きな人といる時の

自分がとっても好きなんです。

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公私の別

『公私』を分けるとか、『公私』混同しないとか、言いますよね。

で、実際はどうなんでしょう。みなさん、きっちり『公私』を区別していますか?

僕は基本的には『公私』が混ざり合ってますし、絡み合ってます。

たとえば、自分の中の『私』はある事が好きなのに、『公』の自分はそれが好きじゃない!なんてこと、無いですよね。

たとえば、自分の中の『私』がとても悲しいとしたら、『公』でどんなハッピーな出来事があったとしても、決して100%の悲しみと100%の喜びを同時に感じることなんて出来ません。

『公私』を分けることは、体外的に、第三者に対する時に必要ではあると思います。『公』のお金を『私』のために使用すれば問題になるし、罪を問われます。『私』で起こった悲しみや痛みを『公』に持ち込んだら、それは甘えになるでしょう。

でも、自分自身の中では『公私』は一緒くたになっています。

『私』の中で大切に思うもの、価値を置くものは、『公』でもやはり大切で価値の高いものと感じます。
人間関係を大切にしたいと思えば、それは『公』においても『私』においても、大事なポイントになります。ならざるを得ないですよね。
だって、自分自身の感情や価値観、好きなもの、大切なものって、『公私』で使い分けたり、感じ方をコントロールするような種類のものじゃないから。

だから、僕は『公』においても『私』においても、自分らしさを大切にしたいなって思います。
自分らしい取り組み方。自分らしい想いの込め方。自分らしい接し方。・・・
そんなものを携えて、生きていたいと思ってます。

だって、『公』だろうが『私』だろうが、それはまぎれもなく『私の人生』のパーツに過ぎません。それらが全部合わさっての『自分』であり『人生』ですからね。

自分を使い分けるなんて器用なことは出来ませんし、むしろ自分を偽ったり、取り繕って何かを成し遂げても、

それは胡散臭いし、
本当に自分が誰かに受け入れられた感覚も得られなさそうだし、
自分自身がやり抜いたとも思えない気がします。

一日の中で大半の時間を費やす<仕事>です。
その時間だけ別の人格、別の人間として生きるなんて、人生の大半で自分を生きられない!ってことになっちゃいます。

こんな事を言うと、「そんな甘いこと考えて」とか「理想論だよ」なんて言う人も時々いますけどね。

どう思いますか?

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30日後に死ぬとしたら・・・

『もしも、自分が30日後に死ぬと判ってたら、それまでの30日間をどうやって過ごすか?』

先日、そんな話をしてました。
まぁ、良くある「無人島yachtに持っていく一冊の本」みたいな話だと思って下さい。

そこで僕は、多分死ぬ前日まで仕事をするだろうと思いました。

もちろん、仕事が終わったら旧い友人や大切に思う人達との時間を作りますけど。それでも日中は仕事をしてると思います。

「仕事が好きなんだね」と言われましたが、確かにそうなんでしょうね。
ただ、もっと単純な部分では、僕の今の生活の中で、自分を表現する手段として一番有効なのが『仕事』だって思ったのです。

特に、社外の方とは何かしらのキッカケで「出会い」、「必要」とされるからこそ、仕事は少しずつでも進んでいきます。そして、その仕事に僕は自分の想いを乗せている積りです。
自分の中にある「何か、人の力punchになりたいな」というニーズを、一番真剣に求めてくれるのが仕事やお客さんからの要望だと思うのです。

金銭が絡むと、人は対価として相応・もしくは相応以上のものを求めます。
相手に対して「プロ」の仕事を求めます。

求められるこちら側も、サービスにしろ、プロダクトにしろ、仕事の具体的な進め方にしても、より良いものを手渡したい。
『あ~、あなたと仕事が出来て、本当に良かったよ」と感じていただけたら、それはとても嬉しい。
たとえ、その時に感じてもらえなくとも、ある時、振り返ってみると『あの時、彼と仕事ができて良かった』と思ってもらえるものを残せたら。。。

それでも、時には十分な満足を提供できなかったり、自分で納得のいかないものになってしまうかも知れません。

それでも、互いに今よりも「より良くなる」ために、本気でぶつかり合えるチャンスというのは貴重だと思うのです。
ぶつかり合う・・・と言っても決して「敵対」してるのとは意味が違いますけどね。

そんな訳で、僕は自分が○○日後に死ぬと判っても、きっと仕事をしてると思うのです。

あなただったら、どんな風に過ごしますか?

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はじめの一歩

自分の中にある*ふつふつとその時を待ってるもの達*をさらけ出すために綴ります。

仕事のこと。出会った人々。やってきたこと。やり損ねたこと。感じたこと。伝えたいこと。信じていること。感動したこと。

未来の自分に。大切な人達に。

今日はそんなブログを始めるにはとても良い日です。

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