自由をテーマに

こっそり、2008年の11月から別のブログを書いていました。

http://ameblo.jp/take4k/

このブログで書いていた『今までのこと』を修正しながら書いたテーマ『僕の草創期シリーズ』もありますので、読んでやって下さい。

新しいブログ(と言っても1年が経とうとしてますが)の方は、主題を『自由』に据えて書いています。

瑣末なことかも知れませんが、ちょっとした日常の中での『自由』にまつわる話を、国内にいるときは毎日、1つか2つアップしています。・・・という訳で世界を股にかけた営業マンじゃない僕は、ネットを離れた3、4日の旅行以外、更新してきました。

こっちのブログはまた、何か考えようかな。。。

新ブログ たけちゃん♪の「自由」開拓進行中 、どうぞよろしく。

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習慣を変える

11月9日にふと思い立って、長年の習慣のひとつを変えてみた。
これが結構楽しい。

同じ人間を長年やってると、

習慣的に、
条件反射的に、
無意識に

何らかの行動をしていることが多い。

で、ちょっとした習慣を意識的にでも変えてみると
「をを!まだ自分は変われるんだよな~」
と、気づけるのだ。

自分の中で

頑固・頑迷になってる部分
決まりきってる言動の仕方
新味のないパターン

そんなものに知らず知らずに嵌め込まれているものだ。

変われる。
良くなれる。
成長できる。
可能性がある。

それを体感できるだけで、自分自身が面白くなる。

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「学ぶ」に潜む クセモノ

子供の頃や学生の頃、勉強が好きでしたか?
僕は遊んでる方が好きでした。勉強が楽しいなって思った経験は少なかったと思います。
学校に行くから、まぁ、仕方なく勉強をしていたようなものです。

中には、好きな勉強もありました。
上手に出来るものや、達成感のあるようなものは好きでした。
例えば、体育の授業でも短距離走や飛び箱は好きでしたが、マラソンは嫌いでした。
算数は嫌いだったけど、「証明」の問題はクイズみたいで好きでした。

それでも、「勉強」というと、心躍るものではありませんでした。

今から10年くらい前に、英語と中国語にハマったことがあります。
当時は営業の仕事をしていて、一日中、車で移動してました。その間、ひたすら英語と中国語のラジオ講座を録音したテープを流し続けてた事があります。
その時に、自分から進んで行なう「勉強」というのは楽しいもんだな、と初めて気づきました。
「学習」が「楽習」になるんですね。

中国語では「勉強」と書くと、日本語の「無理強いする」という意味になります。
それまでの僕が経験した「勉強」は、正に自分に「強いて」いたのだな~と思ったものです。

いわゆる「学問」と呼ばれるものに限らず、何か自分にとって新しいものを「学ぶ」のは楽しいものですよね。

学ぶのは楽しい。
この<楽しい>という感覚が、実は曲者(くせもの)だなって思います。

たとえば、僕の場合、この2年弱、大きな括りで言うと「コミュニケーション」について、書籍や講座を通して、学んできました。

2年前に、「自分には未だ何かできるのか?」「これからどうしたいのか?」と考え(迷いを覚え?)ました。そして、それを明確にして、自分を信じて進みたいな!と思ったのが、学び始めたキッカケです。

僕にとっては、方向性や目標がハッキリして、自信を持ってスタートを切れれば、それで良い訳です。それが目的で始めたんだから。

ただ、「学ぶ」のは<楽しい>ので、本来の目的を超えて、学ぶこと自体が楽しくなったり、もっと学びたい!、その先を知りたい!、という欲求が出てきます。
(この欲求が、人間を進化・進歩させてきたのだと思いますが。)

そうなると、「学ぶ」ことにどんどん魅了されてきます。

スタートを切ることよりも、学び続けることに意欲が湧いて、当初の目的からすり替ってしまいそうになりました。

学ぶこと、そのものが目的の場合。
と、
何かの目的のために、学ぶ場合。

自分がどういうスタンスで向き合うのか?憶えておく方が良いと感じました。

もちろん、状況や環境が可能なら、勉強を続けながら、スタートを切っても構わないでしょうし、勉強をしていく中で、自分自身に化学反応が起こって、新たな目標や目的の軌道修正が必要になることもあるでしょう。

学習する、とか、習得するってことは、自分に変化を促しますからね。

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恋せよ乙女!!

先月のこと。会社の女性社員Mが「失恋をしました~cryingheart03」と言って出社してきた。
ついつい、「はぁ~」とため息が漏れてしまうような有り様。
僕や他の社員に「失恋って、したことありますか?」と聞いて回っては「ツライですぅ」と言い、傍から見てると何処となくコミカル。

「あ~ぁ、もう恋なんかしたくないよぉ」と言うに至って、同僚の男性社員
「俺くらいに色々経験すると、そういう感覚も<麻痺>しちゃうんだよ。Mさんもそんなこと、忘れちゃいな!」みたいな事をのたまわった。
「そうだよ、そんなの忘れて、次の恋よ!」なんて賛同者も登場。

僕の頭の中には「夢芝居」が流れ始め、「恋はいぃつぅでも初舞台ぃ♪」と梅沢富美男の歌が聞こえた。

「いいかぁ?
『この人が好きだな~』と思ってたのに、失恋しちゃったんだから、そんなのツラくて当ったり前なんだよ。
ハナから簡単に忘れられちゃう位なら、そんなの恋じゃないじゃん!
だから、どっぷり、思いっ切り、ガッカリして、落ち込めばいいんだヨ。」と、冷たく言い放ってやった。

Mに、と言うより、「事なかれ」な同僚に向けて言ったのかも知れない。

何でもかんでも忘れりゃイイってもんじゃない。
「もっと良い人に出会うよ」なんて簡単に慰めることでもない。
いつまでも引き摺るのは良くないとしても、目を逸らしたり、失恋を麻痺させるなんて「恋」じゃない。
失って、自分を誤魔化せる位なら恋とは呼ばない。

Mは自称「立ち直りの早い女」です。「三日経てば、大丈夫」と言います。
「あと三日、あと三日」と自分に言い聞かせるように呟きます。

そして、三日目には本当にいつも通りのMでした。
デートスポットみたいな話題にふと「あ!私、そーいえば失恋してたんだ・・・」と思い出し、「私、本当に立ち直りが早いなぁ。これってスゴクないですか?」だと。coldsweats01

恋せよ乙女!!である。

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ストーリーを組み立てよっと!

今、不幸か?といえば、決してそんなことはない。

至らないこと、力の及ばないこと等々、そりゃ色々あるけど、
「もっとこんな風に在りたいな」とか
「実現させたいな」と思うような事があるんだから、幸せなんだと思うのです。

もちろん、現状に満足しているかといえば、そんなことは無いわけで、むしろ、不満の分子はそこら中を飛び回っています。「 窮状 」と言えなくも無い状況も、このままでは起り得そうです。

「世の中におよそ『 困難 』というものは無い。ただ、それを『 困難 』と思う心があるだけだ」という言葉を読んだことがあります。

悪いように考えれば、それも容易いのですが、、、

これが、僕が主人公のドラマや小説だったら、この状況からどんな風に抜け出していくのかな?と考えると、気持ちも上向きます。

「さて、どんなストーリーにしたら面白くなるかな?」なんてことを考えています。
そしたら、後は個性派俳優(?)として、その役にどっぷり浸かるだけです。

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灯り

『 自灯明・法灯明 』という仏陀の言葉があります。
僕の好きな言葉です。

僕は宗教に属していませんし、宗教学を学んだこともありません。
この『 自灯明・法灯明 』は今から20年以上前に、NHK大河ドラマ「伊達政宗」で初めて耳にした言葉でした。

幼くして片目の視力を失った正宗に、大滝秀治さんが演じる寺の住職が話す場面でした。

「人は人生という暗い夜道において、自らを灯明として歩いていくのだ。
しかし、もしも自分の灯りが未だ弱く、道を照らせないのであれば、
その時はお釈迦様の教えである『法』を灯明として、歩いていけば良い。」

というような台詞でした。
僕には忘れられない言葉になりました。
仏教という世界三大宗教においても、行き着く先は仏教そのものの教えが最重要ではなく、自らを灯明として一人ひとりが自分の足で歩くことを求めたのだ、と感じたのです。

一言一句そのままでは無かったと思いますし、ドラマの上で住職が「方便」として話した言葉なので、本来の仏陀が意味したことと違うかも知れません。
テレビから不意に飛び込んできた台詞ですから、その後の20年間で僕の好きなように解釈がなされてしまっているかも知れません。

自分なりの指針が無いならば、「法」を道標として歩いていく。
自分の羅針盤が明らかになってきたら、それを軸に歩を進める。

「自由」は、自らに由(よ)ると書きます。

情報化社会の中では、何か新しいことをやろう!とすると幾らでも関連する情報を手にすることが出来る。
ネットでも書籍でも、時間や労力をかけずに触れることが出来る。
自分にとって未知のこと、初めてのことも、前もって指針を得ることが出来る。
その情報は「玉石混交」かも知れないが、その気になりさえすれば、数ある中から「法」を選び取ることが出来る。

「他由」なんて言葉は無いでしょうが、他者に由って始めることが、より手軽に、可能となっている。

去年、今年と、法を灯明として過ごしてきたように思います。
その灯りが、僕の中の蝋燭の灯りを、より周囲を照らせるものに育ててくれたものと感じます。巡り合わせ、出会いの妙に感謝です。
そして、「法」には謙虚に向かい合うことが大切なんだと思います。素晴しい「法」であればある程、依存したり委ねてしまうだけのパワーや輝きがあるからこそ、謙虚に受け止める姿勢が必要だと感じます。
(変な言い回しになってしまいましたが・・・伝わる?)

ここらで再度、自分の源泉と、照らし出せるものを確認してみます。
『 自灯明 』を頼りとして歩くために。

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今、僕がいる場所

昔、「詩のようなもの」を毎日、書いていたことがある。
高校や大学に通っていた頃だ。

あの年頃に多分、誰にでもある一種の自意識過剰や、自分を持て余した感覚を、僕の場合、「詩のようなもの」にして、もがいていたのだと思う。

自分自身が何者で、どれほどのもので、何に価値を持って、何を為したいのか?

時が経って、色々な経験もし、心も動かされ、あの頃ほど朧(おぼろ)でもなく、行こうとする方向なども見えているけれど、それに反する対抗勢力が自分の中に潜んでいるのも同時に感じる。
「自由」な在り方や、「勇気」を試されている感覚。

イチローのように小学校の卒業文集に書いたことを、そのまま突き進んでいるような人もいる。迷い無くその道を進む人を「凄いなぁ」と思う。

でも彼らには彼らで、その場に安住することなく、更なる先を開拓していく勇気や刷新を図る試練があるのだろうと思う。「もう、充分だよ」という囁きと戦っているような気がする。

立っているステージや段階は人それぞれだろうし、到達する頂の高さも違うんだと思う。

それでも、同じレベルの頑張りは絶対に必要なんだと思う。同じくらいの行動が必要なんだと思う。恐れに振り回されず、今、何が出来るかを自由に発想して、勇気を持って、やれることをヤル。

そんな場所に今、僕は立っています。

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コスメ薬事法管理者

今年2008年6月から「コスメ薬事法管理者」という民間資格がスタートしました。
それまでは健康食品に関わる「薬事法管理者」の資格だけだったのですが、新たに化粧品についての資格が出来たのです。
内容は、化粧品に関わる「薬事法」、「適正広告基準」に基づいて、化粧品広告にどんな配慮・工夫をするか?というものです。

化粧品は薬事法において『人体に対する作用が緩和なもの』と定義付けられています。
仮に、とても優れた夢のようなheart01製品であっても「シミやくすみが消えた!」とPRすることは出来ません。たとえ1000人の人が使って、1000人全員のシワが消えたとしても、それを謳い文句にすることも、データを記載することも出来ません。

様々な媒体に、たくさんの化粧品広告が載っています。
近年はインターネットでの化粧品販売も大きく成長して、PCや携帯で購入した経験を持つ人も多いと思います。
大手ショッピングサイトの楽天市場をみるとスキンケア製品だけで30万件弱、ボディケア製品で10万件の掲載があります。楽天に限らず、どのネットショップでも自主規制などを設けて誇大広告の抑止に努めていますが、違反広告は後を絶ちません。
ちょっとランダムに見てみても、必ず過剰な違法表現が含まれています。

僕も思えば、20年以上、仕事として化粧品に関わってきましたので、良い機会だと思って、受講を始めました。今まで業務上の知識として知っていたことも、系統立てて勉強し直すと理解が深まり、整理できますね。

お陰さまで、資格試験も無事、合格致しました。Dvc00002 (今日、認定証が届きました。)
以前、気象予報士の制度が始まった時に、天気予報番組でおなじみの方が試験に落ちた!という報道がありましたよね。僕も同じ轍を踏みたくない!!と思って、資格試験の時には、ちょっとしたプレッシャーを覚えました。

どんな資格も同じだと思いますが、取得して、ようやくスタート地点みたいなものですよね。
運転免許を取ったからと言って「運転が上手」と認められた訳でもないし、調理師免許を持ってても「美味しい料理が作れる」のとイコールではありません。

「コスメ薬事法管理者」の資格も、その知識を有するだけでなく、実際に消費者の方に過不足なく正しい情報を伝えられること、が大切なんだと思います。
これからもっともっと、表現力・語彙力を身につけながら、活用できる<知恵>を豊かにしていきたいと思うのです。

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高望み

『望みが高いんじゃないの?』

『いつまでも高望みしてたら相手なんて見つからないよ』と、友人や親しい取引先の方達からよく言われます。そのたびに、『そんなぁ~。高望みなんてしてないですよ』と答えてきた訳です。事実、僕自身、本当にそう思ってました。つい最近までは。。。

よく『一人暮らしをすると相手が欲しくなるよ』なんて言うでしょ。
だからって訳じゃないけど、8年前から一人で暮らしているんだけど、これはこれで結構楽しくてね。一人でいるのが好きなんだよね。快適ぃ~sunという程ではないまでも、苦にならないって言うのかな。

世の働く女性達が今の生活を捨ててまで結婚を望まない、なんて言われ方をするよね。そんな記事や話を耳にするたびに『ふぅ~ん』なんて他人事のように聞き流してた。
でも、全然他人事じゃなかった。その女性達が世間で言われてる通りなのか?は解らないけれど、僕自身はそれと似たようなものだ。一人で気ままな毎日よりも大事に思えるような存在の女性が現れたら、と考えてた。

つ ・ ま ・ り、自分なりに高望みをしてるのかなぁ~と思い至った訳です。
そんな自分に気づいたものの、今後、それを改める気があるか?と言うと、未だ無いんだけどね。

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小説と映画と・・・

小説を読むときとか、映画を観るときも、そう。
やっぱりドラマチックな展開を楽しむよね。

ドッタンバッタン。
上へ下への急展開。
歯を食いしばっての現状突破。

『二人は出会って、性格もピッタリで、みんなに祝福されて、一緒になりました。』

とか、

『銀行で人質を取っての立てこもり事件が発生したが、警官が説得を試みたところ、諦めて人質を開放しました。』

とか、

『生活に困り果てていたが、宝くじに大当たりして、すべて解決。めでたし、めでたし。』

・・・なんて小説も映画も探したって、無いよね。
だって、誰もそんな山も谷もない、平坦なストーリーを求めたりしないから。

ところが、我が事となると、ついつい、『すんなり上手く行かね~かなぁ』なんて思っちゃう自分がいる。甘いのぉー。

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